第13回 山の麓にあった関門海峡の守護神
なぜ山の麓にこれが!?
子どもの頃、不思議に思っていた事があった。
「なぜ門司の山には灯台があるのか?」
灯台が山の麓に?海にあるはずの物がどうして?そう、門司には戸の上山の麓に灯台が建っていたのだ。それも2基も!確かに、眼下に関門海峡はあるが違和感があるが。
まずその1基は現在の不老公園内で、丁度旧門司競輪場との境目付近に。そしてもう1基は不老公園より少し山手で現在の都市高速道路4号線の横手付近に建っていた。
残念ながら今はもうこの場所には存在していない。
しかしその当時、どう見ても灯台なのである。上部に光源こそ弱いがオレンジの光が輝いていた。子どもの頃だから何かで調べるでもなく、ただ単に不思議に思っていたのだ。
その思いは大人になってからも続いたのだが、特に調査するでもなく、逆に灯台に対しての自分なりの想像というか妄想をが膨らみそれを楽しんでいたのだ。
調べればすぐに解る事なのに、実にいい加減である。面倒くさがり屋、いや、単なる怠け者であったのだ。

戸の上山

不老公園

門司競輪場との境目付近に「灯台」が建っていた場所

「灯台」が建っていた都市高速付近

在りし日の不老公園の「灯台」(1993年頃)
想像が現実に
山の灯台は、同じ形状の物が他にも点在していた。小森江にある市民病院付近に2本。
手向山公園に1本、その手前の丘に1本と不老公園の2基を合わせて計6基が確認されていた。
そのうち小森江と手向山の4基は現存(一部位置が変更)している。
まあ、小森江と手向山の4基は海が近いので理解できるが、やはり謎は不老公園の2本。
「なんなのだろう。」とにかく当時はそう思っていた。
当時、この6基の灯台、下関側から見たら位置関係がよくわるし、山の麓に見える灯台はなかなか絵になる存在でもあったのだ。
筆者は元々物書きなため、この灯台を使った物語をいつか書いてやろうと考えていたところ、そしてふと、小倉北区の西港から門司側眺めていた時にアイデアが浮かんだ。
「関門海峡は日本海側から入ってきた時には「湾」のように見える。そのため事故が起こらないように誘導するための灯台ではないか?
不老公園の2基に関しては疑問が残るが。
設定はこれでよし。
あとは、この灯台に謎を持たせたサスペンスにしよう」と考え、灯台存在の謎は全く解けていないが、自分の想像に納得してしまい、シナリオは完成した。
それからしばらく灯台の事は忘れていた。そんなある日、突如として謎が解決したのだ。ニュースの特集でこの灯台が取り上げられていたのだ。
実はこの灯台、関門海峡を航行する船を安全に誘導するための「誘導灯」だったのである。子供の頃からの謎が解け、自分の想像が現実となった瞬間である。

2基の灯台の灯りがわかる

現在も手向山に建つ「灯台」

現在も北九州門司病院付近に建つ「灯台」

オレンジの灯り

日本海側から見ると湾のように見える関門海峡
関門海峡の安全を守る!

関門海峡海上交通センター
正確にはこの灯台、いや「導灯」は大瀬戸導灯という。
手向山にある2基は大瀬戸第一号導灯、
不老公園にあった導灯は、現在松原海岸付近にある関門海峡海上交通センター付近に移動し、大瀬戸第二号導灯に。
小森江付近にある2基は大瀬戸第三号導灯。
この6基の導灯は、毎日関門海峡を航行する船の安全見守っている。
建てられたのは1966年あたり。
今から44年前となるが意外と新しく感じる。というのも関門海峡は昔から船の航行量の多い場所。
太平洋戦争中も物資運搬の重要な場所であった。だから1966年は少々意外な数字なのだ。
それ以前の方が船での運搬が盛んだったと思う。その光景は1957年公開の日活映画「鷲と鷹」で確認でき、今とは違って関門海峡自身に活気が見える。
もしかすると、導灯のある周辺は下関要塞地帯であったため、それと何か関係があるのかもしれない。
関門海峡の安全を見守るこの「導灯」、門司側にあるのだから勿論下関側にもある。
関門橋近くにある下関導灯(これは初点が1901年!)と巌流島手前にある彦島導灯が瀬戸内側から進行する船の安全を見守っている。
関門海峡はこの「導灯」と共に「灯台」、海に浮く多くの「航路灯浮標」によって守られているのだ。
子供の頃の謎が解決し、その存在理由が解り改めてその重要性を感じる。場所が変われども、その姿を見ると子供の頃を思い出す。
山の麓にある2基の灯台、いや導灯を不思議感を抱いたことを。
しかしその不思議感は今でも変わっていない。

大瀬戸第一号導灯 前灯

大瀬戸第一号導灯 後灯

大瀬戸第二号導灯 前灯

大瀬戸第二号導灯 後灯

大瀬戸第三号導灯 前灯

大瀬戸第三号導灯 後灯

1966年(昭和41年)初点を表すプレート

歴史のある下関導灯

彦島誘導灯
ライター/碇 義彦