井上龍子さん(八幡駅前開発株式会社 代表取締役社長)
様々な活動を通して交流のある方を紹介で繋ぐ、リレートーク形式のコーナーです。北九州に仕事や生活の拠点をもち活躍している方々から、この街の多彩な魅力を語っていただきます。
東京と北九州に縁
家族と共に行き来しています
Q.現在離れて暮らしていらっしゃる、ご主人との出会いは?
私は八幡生まれで、高校までをこちらで過ごしました。大学進学で東京に行き、仕事のためまた戻ってきました。その後、母が亡くなって母の事業を継ぐことになった頃、逝去を知った昔からの知り合いである主人から連絡があり、それが再会です。ですが、私は一人っ子だし、父が1人になってしまうし、事業もあるし、「結婚はできない」というスタンスでした。けれど5年ほど経ち、公務員だった父が退職し、事業のバトンタッチができるタイミングが来たので結婚に至り、東京に行きました。
Q.こちらに戻ってこられたきっかけは?
母に先立たれて父が1人でしたし、主人が数年間の海外赴任をすることになり、子どもが小学校にあがるという時でもあったので、夫が、「留守の間、北九州に戻っていたら」とアドバイスしてくれたこともあって、数年のつもりで戻ることにしました。その半年後に市街地再開発組合の理事長であり、弊社の社長をしていた父が急病で倒れたため、再開発事業の受け皿となるこの会社をなんとか支えなければ、と思ってお手伝いしますと手を挙げたのが運の尽きで(笑)。そのまま十何年も帰れず、ここに暮らしています。
主人は外国からは帰ってきましたが東京を離れらません。上の子は大学進学で東京に行きましたので今は主人と東京の自宅で暮らし、下の子は私と北九州で暮らすという生活で行ったり来たりしているので、子供達にとっては東京も北九州もふるさとという感じがあるようです。
暮らそうと思う理由と魅力
「適度」な街、北九州
主人は広島出身ですが、北九州をとても気に入っています。食べ物がおいしいし居心地がよくて親近感があるそうです。東京はモノは豊富で楽しいですが、行動範囲が広いし、人が多くて落ち着かないという側面もありますよね。
二人とも海が好きなので、海が見える場所、沖縄などで暮らすのもいいね、と話していましたが、齢をとると、病院とは縁が切れなくなってくると思うのです。北九州だと病院がたくさんあるし、かかりつけ医もあるし、同級生で開業している先生もいるし、そういう意味では安心できる環境なんです。沖縄は、遊びに行く場所でもいいかな、と思い始めています。
Q.北九州は、リタイヤ世代に向いた街でしょうか
確かに現在、私と同年代の夫婦でUターンしてきている人たちが結構多くなっています。例えば50代でも、平均寿命まで30年をどう過ごすかと考えたとき、生活リズムがゆっくりしている北九州はとても暮らしやすいと思います。
若い人にも暮らしやすいと思いますよ。子どもを東京と北九州、両方で育ててみて思うのは、北九州は適度に都会で適度に田舎であることです。30分できれいな海があり、山がある。食べ物もおいしい。食べ物は特に、モノの価値からするとすごく安いと思います。雇用の問題さえクリアできれば、教育的にも遅れている街ではないので、子育て世代にぴったりな街だと思います。ものづくりの街だということも、環境未来都市だということもありますが、それに加えて子育てがしやすいという点を、もっとアピールしても良いのではと思います。
また、昔ながらの商店街でも、30代の息子さんが戻ってきて跡を継ぐという話もあります。お年寄りが多いイメージもありますが、そうやって戻ってきた若い人たちとの世代間交流によって新たなコミュニティーを作ることもできるのではと思います。
場所への思い
住むことへの思いをつなげたい
Q.市街地再開発という仕事と、街づくりについて聞かせてください
市街地再開発事業は狭義の再開発で、昭和44年から全国で行われており、現時点で900か所以上完了しています。そのすべての情報を全国市街地再開発協会というところが取りまとめています。課題もそこに集約されていますが、私が考えているのは「ビルだけを管理している時代ではない」ということです。地域とのつながりを大切にすることをいつも考えています。
今年度、YAHATA CORPORATE COMPANION Co.,Ltd.という英語名をつけて新しいロゴを作りました。組織と街、そして自分たちもつながりたい、仕事を通して「面」で魅力を作るためのつながるお手伝いをしたいということを表現しています。
八幡駅前のイルミネーション点灯式などを主催する実行委員会を立ち上げたのも、そのイベントに人を呼ぶというだけでなく、大学や駅、企業、組織、暮らす人たち、街に関わる人たちが同じ場で街について話し合うという機会を持ちたかったために設立したという側面が大きいです。
Q.八幡夢みらい協議会の幹事を務めていらっしゃいますね
八幡夢みらい協議会は、企業70社ほどが集まって街づくり活動をしている20年以上の歴史を持つ団体です。昨年からその中で地域ブランディングを推進する委員会の委員長をしています。住む人が増えることで街が持続できると思っているので、遠回りのように見えるかもしれないけれど実はビジョンの共感を得るのにとても重要な、地域の魅力をブランディングして居心地の良い空間としての街をアピールすることから始めていこうとしています。
その一例としては、今年作った起業祭のポスターです。単にイベントの告知をするものではなく、街の歴史と人々のストーリーに共感してほしいという事をコンセプトにしました。当時中学生として実際に住んでいた方から1960年の写真をお借りして使い、昔を知る人からは懐かしんでもらえましたし、当時を知らない若い人たちには「こんな歴史があったのだ」という発見になりました。そして世代間の交流も自然に生まれました。
街のことを知って、感性に訴える付加価値を見つけられれば、いい街だと思えたり、住んでいることを自慢できたりするようになると思うのです。今、よく「シビック・プライド」という言葉が使われていますが、あの街に住んでみたい、あの街で働いてみたい。そういう共感は、知ることから始まると考えています。
街はどんどん変わっていくので
ずっと学ぶことが必要
Q.現在、試験の準備でお忙しいそうですね
建築や都市計画に不明であるという気持ちがあったので、2年前に再開発事業をテーマにMBAをとりました。論文を書くために各地に視察に行くなどして、大変勉強になったのですが、街はどんどん変わるので、勉強には終わりがない、この話にはまだまだ続きがあると感じました。
現在は街について多面的に学びたくて、東京大学大学院の受験に挑戦し、この度、新領域創成科学研究科 社会文化環境学専攻の博士後期課程に合格することが出来ました。総合的に横断的にものを考えることが必要とされている時代ですから、都市計画も、経営学も、社会学も、それぞれの視点を踏まえて物を考える、視野の広い勉強をして地域に役立てたいと思います。理論と実践の両方が大事だと感じています。
社会人になってからの勉強は、勉強したいことが具体的で明確です。学んだことをすぐに仕事に生かすこともできます。現在の私のまわりのネットワークを考えると、八幡に関して小さいことからで良いので、すぐに実現できることもあるのではないかと思います。「いきもの」である街について行くためにこれからも努力を続けていきたいと思います。
聞き手・文責/加世田侑季