北九州市発祥物件探訪 KEIRIN

北九州市発祥物件探訪 KEIRIN

バックナンバーはこちら

北九州市から全国、そして世界へ

北九州市は、昭和の高度成長期を牽引した工業都市として。

公害を克服した環境都市として。

最近では門司港レトロを中心とした観光都市として全国に名を轟かせている。

そんな北九州市には、「発祥の地」ということで全国、さらには世界に名を轟かせているモノやコトが多数あるのをご存知だろうか。

これからこのコーナーでは、そんなモノやコトを紹介してゆくのでお楽しみに。

今回はその中でも世界を相手に胸を張れるアイテムをご紹介しよう。

バンクを猛スピードで疾走するマシーン!それは観るモノを圧倒する瞬速の肉弾戦!

そう、オリンピックの公式競技、世界の合言葉である「KEIRIN」だ!

競輪誕生!

競輪が産声を上げたのは1948年(昭和23年)だ。

全国の各自治体の戦後復興費用捻出、自転車産業の発展を目的とした「自転車競技法」が同年8月に成立し、同年11月に福岡県で開催されることになっていた第3回国民体育大会で自転車競技の採用が決まった。

福岡県は全国初の競輪開催に沸き上がったのだが、県内の自治体は自転車競技場建設には莫大な費用がかかるために二の足を踏んだ。

そんな中、小倉市(現北九州市小倉北区)が当時の人気種目であった野球の開催を条件に競技場建設に立候補。

会場は小倉市に決定した。

こうして現在の小倉北区三萩野に小倉競輪場が誕生し、第3回国民体育大会の中で第1回目の競輪が開催されたのである。

その後、競輪は人気を博し、次第に全国へと広がっていった。

その流は、となり街の門司市(現北九州市門司区)に1950年5月(昭和25年)、門司競輪場を開設させるまでにいたった。

門司競輪が全盛期のころ、門司駅(現JR門司駅)から山手にある門司競輪場へ向かう観客の流れは、まさに試合終了後に北九州市民球場からモノレール香春口三萩野駅に向かう人の流れそのもの。

いや、もっと多かったかもしれない。

そんな門司競輪場は2002年3月(平成14年)惜しまれつつも約52年間の歴史に幕を下ろした。

競輪から世界のKEIRINへ

1977年、中野浩一選手がプロ・スクラッチ種目で優勝したことで、日本自転車競技連盟が国際自転車競技連合に対して競輪の世界自転車選手権への採用を打診した。

その翌年から日本の競輪選手だけでのデモンストレーションレースや、外国人選手も参加しての公開競技が行われ、1980年、世界自転車選手権フランス・プザンソン大会で、プロだけの種目として 競輪がKEIRINとして採用された。

その後、日本自転車競技連盟は、1996年のアトランタオリンピックより自転車競技のプロ・アマオープン化に伴い、オリンピックでのKEIRINの採用を打診。

2000年のシドニーオリンピックで正式採用されることになり競輪は名実ともに世界のKEIRINとなったのである。

ちなみにオリンピックで日本発祥の競技は柔道とKEIRINの2種目だけ。

そのうちの1種目が北九州市が発祥とは何と誇らしいことか。

現在、発祥の地である小倉競輪場は1998年(平成10年)、自転車ヘルメットをモチーフとした全天候型KEIRIN&イベント複合施設、メディアドームとして生まれ変わった。

周辺は常にファンの熱気に包まれ、さらにファンをヒートアップさせるナイターレースも開催中!

そして、来年は毎年開催されてきた競輪祭もついに50回目を迎える。

北九州市民、全国のファン、そして世界の皆さんを楽しませてくれている北九州市の生んだKEIRINは、この発祥の地で歴史を刻み続けている。

ライター/碇 義彦

バックナンバーはこちら

コメントは受け付けていません。