15.浅川地区

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多くの地域で構成された街、浅川地区(八幡西区)

JR折尾駅から北へ位置する八幡西区浅川地区。

地域周辺には、環境の整った規模の大きな新興住宅地があり生活利便施設も充実している。

交通アクセスもよく、JR折尾駅から小倉や博多までの通勤通学、ショッピングは楽々!また、九州共立大学に九州女子大学、自由が丘高校や九州産業医大など、北九州市屈指の文教地区でもあり、活気に満ちあふれた可能性のある若者たちの街と隣接している。

変貌する町

現在浅川地区は八幡西区に位置する。しかしその昔は若松区に位置していたのだ。浅川地区は二転三転して現在の形になっているのが面白い。

1889年、それまで浅川村として地域に根ざしてきた村が突如、江川村の一部となり、1908年には、島郷村の一部に。

さらに1931年、若松市に取り込まれ、1963年の五市合併による北九州市の誕生の際には、そのまま若松区に位置した。

しかしこれで終わると思いきや、1974年新たなる変貌を遂げることになる。

それまで5区で形成されていた北九州市が7区に分離する際に、今の八幡西区に位置することになったのだ。

その後浅川地区は丘陵地帯が新興住宅地等に開発され、浅川学園台、三ツ頭、浅川町、藤原、浅川、自由が丘、浅川日の峯、浅川台、千代ヶ崎、医生ヶ丘、大浦と次々に新地名がつけられて発展して行ったのである。

浅川地区の大変貌は北九州市の中で一二位を争うほどのものかもしれない。

浅川今昔

現在は文教地区として生活エリアを形成する浅川地区。

その昔、いや40年ほど前までこの地区は、日本の経済発展を担ってきた炭坑の街だったのだ。多くの日炭高松山三鉱の社宅が建ち並び、多くの人達の活気に満ちあふれた街だった。

そんな炭鉱の街は静かに役目を終え、次の時代にタスキを渡したのである。

歴史は繰り返される?

整備された道路に整備された街並、そして丘陵地跡に広がる近代的な住居の数々。

様々なライフスタイルが交錯する浅川エリア。多くの街が一つになって形成された浅川の歴史にダブるものがある。

地区近隣MAP

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