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北九州市の歴史

北九州市は合併したその当時、「複数の市が合併してできた市」として話題になりました。

しかし、この地域の歴史をひも解いてみると、意外にも分割、合併を繰り返していたのです。

現在北九州市の位置する地域は、奈良時代から明治初期まで続いた令制国において、門司区、小倉北区、小倉南区の全域と、八幡東区の東半分は豊前国(企救郡)に属し、八幡東区の西半分と、八幡西区、若松区、戸畑区の全域は筑前国(遠賀郡、鞍手郡)に属していました。

それが、1871年8月29日の廃藩置県により、豊前国は小倉県に、筑前国は福岡県となり、1876年8月21日には府県合併により小倉県は分割。大半の地域が福岡県と合併したのです。

さらに1889年の市町村制施行により、大正時代に門司市、小倉市、戸畑市、若松市、八幡市として生まれ変わりました。

そしてついに、1963年2月10日、門司市、小倉市、戸畑市、若松市、八幡市の5市が合併し北九州市が誕生したのです。その後4月1日に政令指定都市となり門司区・小倉区・戸畑区・八幡区・若松区の5区を設置。各行政区域は、ほぼ合併前の各市域で対応することとなりました。

そんな北九州市を有名にしたのが、1960年代、高度成長期で経済発展の代償となった「公害問題」。 海は汚れ、空はスモッグでかすんで見えなくなり、洗濯物を外に干せばスモッグのばい煙で汚れ、子供たちは光化学スモッグの発生で、外で遊ぶこともできませんでした。そんな公害の代表格が「洞海湾」。死の海と呼ばれ、この海では生物は棲息できないと言われていました。

そんな北九州市も高度成長期の終わりとともに、環境改善に取り組み始め、死の海と呼ばれた洞海湾も車エビが棲息するまでに回復。1990年には日本の自治体では初めて国連環境計画より「国連グローバル500賞」を受賞しました。さらに環境と開発に関する国際連合会議において国連地方自治体表彰を受け、「公害の街から環境を考える街」として生まれ変わりました。

2010年現在、5区でスタートした北九州市も小倉南区と八幡西区を加えて全7区。企業の撤退、少子化の影響で若干の人口減少がみられますが、公害を克服した経験を活かして、新しい発想で21世紀の北九州市を創造してゆくことでしょう。